スター・ウォーズの最終章となる『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は、離れてしまったファンの心を取り戻すための必死の努力であるように見える。特に考えさせられるものはなく、裏切られたという気分になることも、逆に作品を十分に堪能したと思うこともない──。『ヴァニティ・フェア』によるレヴュー。
TEXT BY RICHARD LAWSON
※このレヴュー記事には、ネタバレにつながる描写が含まれています。十分にご注意ください
スター・ウォーズの現在の三部作の2作目に当たる『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017年)を巡る議論に深入りするのは、セラピストに止められている。これにはきちんとした理由があるのだが、それはともかくわたしの大雑把な理解では、この映画はファンには評判が悪かった。
わたしの耳にまで届くのだから、当然ディズニーも『最後のジェダイ』に対する不満には気づいていたはずだ。シリーズの最後を飾る『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は、離れてしまったファンの心を取り戻すための必死の努力であるように見える。それはきっとこのためだろう。最新作は神話の法則を追求し、ファンがオリジナル三部作に対して抱く言葉に従って畏敬の念のようなものを復活させようともがいている。
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J.J.エイブラムスに課せられた義務
監督は『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)を大成功に導いたJ.J.エイブラムスだ。エイブラムスは続三部作の第1作となるこの作品で、元からしっかりとした骨格をもっていたルーク・スカイウォーカーの物語を巧みに再構築してみせた。だが、非常に難しいふたつの課題を背負った『スカイウォーカーの夜明け』は、そう簡単にはいかなかった。
エイブラムスはここで、ばらばらになった破片をそれなりに満足のいくかたちで何とかつなぎ合わせ、同時に『最後のジェダイ』を巡るファンの不満に耳を傾けて罪を償うという義務を課せられたのだ。
エイブラムスは有能な映画監督だが、これほどまで複雑な任務を遂行するのは難しいだろう。スティーヴン・スピルバーグを思わせる彼の器用さをもってしても、傷つけられたシリーズの名声を回復するのは不可能だった。
それでもエイブラムスは何とかしようともがき、アクロバチックな戦略を導入した。結果として『スカイウォーカーの夜明け』は、誰も望んでいなかった結末に向けて疾走し始める。そして『最後のジェダイ』を楽しめなかったことに動揺しているファンだけでなく(個人的には、これはルークが鬱っぽかったことと、女性キャラクターが重要な役割を与えられたことが大きいと思っている)、もっとリラックスした気分で最終章を待ち望んでいた人たちにとっても期待外れの結末となってしまった。
考えさせられるものは何もない
『スカイウォーカーの夜明け』のあらすじを明らかにするのは厳密には“違法行為”のようなものだと思うが、なるべく漠然としたことしか言わないので許してほしい。作品の冒頭、レイ(デイジー・リドリー)はジェダイになるための修行を続けている。情報を求めて宇宙をさまよっていたフィン(ジョン・ボイエガ)とポー・ダメロン(オスカー・アイザック)の元には、ファースト・オーダーの組織内部に潜むスパイからの情報が入ってくる。
一方、常に不機嫌なこの物語の王子カイロ・レン(アダム・ドライヴァー)は、もっと重要なものを探している。この壮大な物語の過去と未来をひも解く鍵となるアイテムで、具体的に何かということには触れないが、最終的にそれによって見つかるものは非常に馬鹿げていてイライラさせられるということだけは言っておきたい。
この映画には、特に考えさせられるものは何もない。また、裏切られたという気分になることも、逆に作品を十分に堪能したと思うこともない。ストーリー展開は視野狭窄に陥ったかのように方向性が決然としすぎていて、映画として愛される、もしくは少なくともネットで受け入れられるために、観客は何に関心があるのかということを考える余裕などはないようだ。
エイリアン版のバーニングマンを背景にした砂漠での追跡シーン、宇宙船内部での救出劇(シリーズの前の作品にも似たような場面があった)、そして戦闘機の撃ち合いでは無線によるやりとりが飛び交い、派手な爆発が続く。こうした急スピードのアクションシーンはどれも、どこかで見たようなものばかりだ。
全体として(さらに、それぞれのシーンにも)情熱は感じられない。まるでエイブラムスが夜中に叩き起こされて、どこかのインターン(ちなみに名前はライアンだ)が起こした火事を消すために急いでスタジオまで行ってほしいと頼まれたかのようだ。
無難で安心できるコンテンツ
『スカイウォーカーの夜明け』は、大手の映画スタジオがファンの意見にどう対応するかを考察する上で、興味深い事例だと言える。作品は『ソニック・ザ・ムービー』の実写版アニメのソニックのように人工的で、オリジナルの要素はまったくなく、代わりにRedditとTwitterから探してきたアイデアを寄せ集めただけに見える。
ついでに、そのアイデアはどれもひねくれたものだったということも付け加えておきたい(例えば『最後のジェダイ』で不当な批判を浴びたローズは今作では完全に脇役扱いだったが、これは一部の心ないファンの文句に譲歩してしまったのだと感じざるをえない)。
この精彩を欠いた超大作は、スター・ウォーズの“コアなファン”という非常に曖昧としたグループの機嫌をとることに終始している。それは残念なことで、興行収入だけを狙って製作したわけではないのだろうが、結果として映画全体としては面白みがまったくなくなってしまった。
ところどころに何となく可愛らしい要素(たいていは新型のドロイドだが、それすらもはや飽きた感じもする)がある以外は、製作側が必要だと思ったことが義務的に詰め込まれているだけだ。そして、そんなふうにしなくてもよかったのに、そのことに気付いていない。
いや、もしかしたら本当にそうしなければならなかったのかもしれない。ディズニーとしては、最終章(現時点ではシリーズ最終章だ)を巡っていかなるリスクも受け入れられない事情があったのだろう。だからこそ、いまではディズニー金庫の中に眠っているオリジナル三部作の世界観に近づけて、無難で安心できるコンテンツをつくり上げなければならなかった。
たぶん『スカイウォーカーの夜明け』は、受け入れなければならない既成事実なのだろう。若者たちはここから、楽しいイヴェント(ここまでは本当に面白かったのだ!)の最後には必ずつまらない終わりがやってくるということを学ぶのである。
物事は始めのうちに楽しんでおいたほうがいい。なぜなら、最後は貸し借りを清算して、すべてが終了する前に全体に何らかの意味づけをするという作業が必要になるからだ。
よかったところもある
さて、ネガティヴなことばかりでこのレヴューを終わらせたくはないので、この先は『スカイウォーカーの夜明け』のよかったところについて書いておこう。まず、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』で破壊されたデス・スターが出てくる。巨大な残骸はこれまでに登場したすべての惑星や過去の戦いを思い出させてくれるだろう。
うれしいことに、あの人が出てくるシーンもある。誰とは言わないが、映画を観れば必ずわかるはずだ。そして、新登場のとても小さなエイリアン、バブ・フリックがいる。このおかしな声(シャーリー・ヘンダーソンが声を担当した)と、しかめっ面をした不機嫌な老人は、スター・ウォーズ版『わんぱくデニス』のミスター・ウィルソンになれるかもしれない。デニス役はもちろんベビーヨーダだ。
ベビーヨーダで思い出したのだが、古きよき時代、ならず者たちが銀河系を飛び回っていたオリジナルのスター・ウォーズの世界を再び味わいたいのであれば、「Disney+」の実写ドラマ「ザ・マンダロリアン」を観るのがいちばんいいかもしれない。Disney+の利用料は月額でも映画を1本観るより安いし、映画館の駐車場が空いているかを心配する必要もない[編註:日本では「ディズニーデラックス」で配信中]。
そう、年をとると駐車場のように現実的なことを考えるようになる。不思議なできごとに興奮することは少なくなり、多くの場合において、残された隙間を埋めるのは責任という名のうんざりするような失望なのだ。
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