奈良文化財研究所は25日、興福寺(奈良市)の鐘楼跡の発掘で、スカートのような構造の「袴腰(はかまごし)」で鐘楼下層が覆われていた可能性が高いとする研究成果を発表した。研究所によると、袴腰がある鐘楼は、平安時代後期に建立されたという法隆寺東院鐘楼(奈良県斑鳩町)が最古と考えられていたが、興福寺創建の奈良時代までさかのぼる可能性が出てきた。
寺の由来などが記された「興福寺流記」から、鐘楼は天平宝字年間(757~765年)には完成していたことが分かっている。これまで8度ほど火災に遭い、1717年の焼失後、再建されず、礎石や土台部分の基壇が残っていた。
研究所は2015年にも鐘楼跡を発掘。建物や基壇の大まかな規模を確認していた。
今回の調査では基壇上面に「ロ」の字形の溝(南北13.4メートル、東西10.1メートル)を確認。この溝にはめ込むよう袴腰が設置されていたとみられる。
興福寺流記には、鐘楼の規模について大小の異なる2種の記載があった。大きい方の数値は礎石の位置から推定される数値と一致せず謎とされていたが、今回確認された溝を測った数値とほぼ一致、袴腰の下端の平面規模と分かった。
調査は今年7月から行われ、五重塔の西側も発掘。五重塔と、跡が残る門の中軸線がほぼ一致し、計画的に配置されたと分かるという。
鐘楼跡の現地見学会は28日午前11時~午後3時。〔共同〕
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September 26, 2020 at 06:42AM
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興福寺鐘楼に「袴腰」構造 スカート状、奈良期から? - 日本経済新聞
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