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深圳という「母なる大地」で闘い続ける。 そのために、マイクはステージに置いてきた。 藤岡淳一|WIRED.jp - WIRED.jp

徹底したキャッシュレス社会が象徴するように、テクノロジーの新たな聖地とも呼ばれるようになった中国・深圳。ハードウェアのシリコンヴァレーとして独自の進化を遂げ、新たな次元へと進もうとしているこの都市だが、その表層に留まらない話を、ジェネシスホールディングスの藤岡淳一は語ってくれた。

日々刻々と姿を変える深圳という深い“森”の中で生きてきたからこそ伴う実感と、熱量。深圳は自分を育ててくれた「母なる大地」だと語り、恩返しをしたいのだと言う。

その一方で、日本の若い世代を応援したいのだというアンビヴァレンスも、彼の語りに耳を傾ければ魅力的に響いてくるだろう。なぜなら彼の話の奥底には、複雑さに満ちた現代を生きる、そのリアリティが波打っているからだ。

──プロフィールを拝見していて気になったのですが、藤岡さんは中国では「Jerald Fu」と名乗っていらっしゃるんですね。現地ではそのように呼ばれているのでしょうか。

優れた発想力と革新によって「新しい未来」をもたらすイノヴェイターたちを支えるべく、『WIRED』日本版とAudiが2016年にスタートしたプロジェクトの第3回。世界3カ国で展開されるグローバルプロジェクトにおいて、日本では世界に向けて世に問うべき"真のイノヴェイター"たちと、Audiがもたらすイノヴェイションを発信していきます。

そうですね。こちらの人はほとんど、わたしの日本名を知らないんです。2011年ごろに前の会社を離れて起業に向かう時期、ゼロからやり直すんだ、という気持ちで名乗るようになりました。中国や香港の人は英語のニックネームをもっている人が多いので、いまもそのまま「Jerald Fu」で通しています。

──藤岡さんが中国に渡って仕事をするようになってから20年弱、深圳を拠点にしてからすでに10年近い月日が流れています。いまは自ら起業したジェネシスホールディングスを率いているわけですが、改めて最近の取り組みをお聞かせいただけますか。

いまの日本では「軽いIoT」を求めておられる企業が多いんです。工場やプラントにおける「重いIoT」ではなく、飲食店や教育現場、あるいはタクシーといった場で利用するデヴァイスのように、小ロット、低価格、そして多品種にわたるIoT化です。例えば、デジタルサイネージやタブレット端末といったものですね。これはもう、多くの現場で急務になっています。

こうした動きを加速するために、本来ならスタートアップが日本国内で金型の製作や組立を担う町工場と組んで進められればいいのですが、実際どうしても動きが遅くなってしまう。日本にはそれを可能にするサプライチェーンやエコシステムが、ほとんどないからなんです。

われわれはいま、「世界一」と言われるハードウェアのサプライチェーンを誇る深圳、そのエコシステムの“森”のど真ん中に生息しています。このエコシステムには、金型製作から生産、梱包にいたるまで、多種多様な製造工程が含まれている。こうした深圳の強力なサプライチェーンを用いて、軽いIoT化を可能にするデヴァイスの設計から生産、保守までを、わたしたちがワンストップで行うわけです。

ものづくりとは縁がない異業種で、エンジニアがいなければ修理をする拠点もない、物流もよくわからないのに「軽いIoT化」を進めなければならない──そんな日本企業に向けたサーヴィスをメインに展開しています。

藤岡淳一が率いるジェネシスホールディングスは、 多種多様なデジタル製品の開発・生産を支える存在として日本企業に頼られている。スマートロック、タクシーの決済機能を備えたデジタルサイネージ、そしてCMでも有名なモバイル翻訳機まで、わたしたちの知らないところで藤岡が設計から生産まで深くかかわっている。

──まず前提として、そうした深圳のエコシステムがどのように成立してきたのかについてお聞きできればと思います。例えば、ノーブランドの既製品にブランドを書き加える「貼牌(ティエパイ)」や、模倣品の「山寨(シャンジャイ)」といったスタイルのものづくりで興隆してきたわけですよね。

現在の深圳の姿につながる歴史は、わずか40年ほどの浅いものです。1970年末に改革開放政策を推し進めていた鄧小平が、深圳を経済特区のひとつにしました。小さな漁村であったところに工場が林立し、若い出稼ぎの労働者が地方から大量にやってきた労働集約型の時代が初期にあたります。

当初は単純な組み立てと加工が中心だったのですが、東アジア各国の企業が深圳で技術開発や設計に取り組むようになるなか、製造だけを請け負って人々が、コピーを手がけ始めます。下請けじゃ終わらない、というハングリーさですね。若い世代が理工系の大学に進学して熱心に勉強するようにもなってきた。こうしてサプライチェーンが築かれるようになり、やがて深圳には携帯電話やDVDプレーヤーなどが溢れるようになったわけです。

いまはそこから変化してきています。中国は研究開発においても大国になってきましたから、若い世代の人たちは自らイノヴェイションを起こそうとしているわけですね。そのときに、深圳にあるサプライチェーンが役に立ちます。われわれのような中小規模の受託生産の工場がたくさんあるので、安く、早く、小回りが利くかたちで革新的な製品を生み出し、海外に売っていくことができる。

なかでもIoTと深圳のサプライチェーンは、相性が非常にいいんですね。レガシーとしてのサプライチェーンのもとに、通信技術とソフトウェアを組み合わせてIoTデヴァイスをつくるという新たな波が、深圳をさらに成長させました。デヴァイスの設計から生産までワンストップでこなせる街が、こうしてできあがったのです。

深圳市内にあるジェネシスホールディングスの工場。従業員の大半は地方出身の20歳前後の女性で、工場に隣接する建物で寮生活をしている。

──そうした新たな潮流にあった深圳で、藤岡さんは2011年に起業されたわけですね。学生時代は音響系の専門学校に行かれていたわけですが、どんな思いで起業されたのでしょうか。

若いころは配線にまみれて寝るような機材オタクなところもありましたね(笑)。20歳で社会に出てから、ずっと製造にかかわる仕事をやめずに続けてきて、中国、深圳ともかかわるようになりました。20代後半のとき、支援をいただいて事業部の分社化というかたちで会社を立ち上げたのですが、リーマンショックで親会社の業績が悪くなり、わたしの会社も買収された結果、2011年に社長を退任することになります。

その当時すでに30代になっていて、これから何をしようかと考えたとき、一切の迷いなく「深圳に行こう」と決めました。中国で完全に独立起業するなら、深圳だろう、と。深圳を利用するのではなく、そのエコシステムそのものになろう、と思ったのです。とりあえずマンションを借り、検品の代行といった知り合いの手伝いから始めていきました。

──そこから現在の事業内容に成長していったわけですね。

はい。最初はわたしと現地の人が2~3人で、本当に小さな規模からのびのびとやっていきました。やがて、だんだんと完成品の受託をやりたいと思い始め、いわゆるファブレス[編註:生産設備をもたない製造業の事業形態]の企業として、地上デジタル放送関連の製造受託を始めたんです。13年からは、10人~20人規模の小さな工場を製造拠点として自社で構えるようになりました。

そうやって試行錯誤を重ねるなか、深圳という街自体が大きく変わってきたんです。サプライチェーンは残っていますが、製造の街ではなく、スタートアップの街になっていった。この深圳にもっと深く入り込みつつ、いいところも悪いところも自分たちでカヴァーしながら、IoT時代の日本企業に向けた新たな製造受託をやろう──。そう考えて“軽いIoT”に特化することに決めたのが、15年くらいでした。そこから急速に事業が拡大し、売り上げが2倍、3倍と増えていき、現在に至っています。

いまから約8年前、藤岡は一切の迷いなく「深圳に行こう」と決めたのだという。日々刻々と姿を変える“森”のような生態系を、街の深い緑とコンクリートとガラスでつくられたビルとのコントラストが象徴している。

──道なき道を切り拓いてきたヒストリーと、淡々と話される様子との間にギャップさえ感じてしまいます。

いえいえ、いまはこんな感じで話していますが、さっきまで工場で金型の試作を巡って喉が切れるくらい怒鳴っていましたから……(笑)。その思いは、20代のころから変わらないかもしれませんね。

やっぱりハードウェアというものは産みの苦しみがあるし、だからこそ一つひとつの製品に血を通わせ、自分の分身くらいのつもりでお客様のところへ送り届けています。製品に聴診器こそ当てていませんが、まるで医者のような仕事なんです。これまでに数えきれないほどの製品を手がけてきましたから、うまくいかないときでも、製品自体がささやく瞬間がある。その声を拾って直してあげるんです。まったくロジカルな話ではありませんけれど(笑)

──中国や深圳という場で活動するということに、政治的な難しさを感じることはありませんか。香港で発生したデモに関連して、深圳では人民武装警察が制圧訓練をしていました。その香港デモを巡って、米国のプロバスケットボールリーグであるNBAと、その大きな市場を担う中国企業が対立するような事態も起きています。非常に微妙なバランスにある地だと思うのですが。

もちろん、さまざまな政治的な課題はありますし、実際に街は監視カメラだらけです。でも、外側から見るのと内側から見るのとでは、180度と言っていいほど見え方は違うのではないでしょうか。GoogleやFacebook、Twitterをシャットダウンすることで、アリババやテンセントのような企業も生まれてきている。何が正しくて何が悪なのかというのも、難しい問題だと思います。

深圳という街には、お年寄りも赤ちゃんもほとんどいなくて、出稼ぎにきた若い世代ばかりです。だからこそ、ここが本当に素敵な街だと思っています。若い世代がスタートアップを起業し、みんなが支援する。チャレンジしやすいし、失敗だってしやすい。挑戦も失敗も認めてくれますから。

ここは毎日のようにイノヴェイションが生まれては死に、とがったものが再びどんどん生まれていく街なんです。日本には「出る杭」という表現がありますが、中国では個性こそがデフォルトです。現状を否定することから、すべて始まっていくんです。若くてアイデアをもっている人たちを本気で応援して、思い切り勝負させてくれる街──。それだけでもかっこいいですし、本当に素晴らしいことだなって思うんですよね。

「自分のマイクはステージに置いてきた」と言う藤岡。自らは裏方として、これからスポットライトを浴びる人たちのために活動を続けている。

──なるほど。人によってさまざまな見方はあるでしょうけれど、若い世代の挑戦を応援する社会、という魅力はよくわかります。

中国にいると、みんなが自分の意見を大声で出して、最後まで譲らずにギャアギャアとやり合うんです。そうやって複数の意見があるなかで、やがて結論が独り歩きしだすんですよね。

そういう社会で仕事をしてきたわたしも、もう40代になりました。深圳という地の利を生かした事業だけでなく、最近は裏方に回って日本企業をバックグラウンドから応援したい、と思うようになりました。「KDDI∞Labo」の社外アドヴァイザーに就任したり、経済産業省のスタートアップファクトリー構築事業にかかわったりもしていて、これからスポットライトを浴びる人たちのメンターになるべく活動しています。

わたしは、もう自分のマイクはステージに置いてきた、と思っています。だからこそ、とがった製品をつくるためには、下請けの立場を越えて、おせっかいを焼きます。それどころか、クライアントであるスタートアップの方を相手に、ケチョンケチョンに言うことさえありますね(笑)

でも、一切の妥協はしたくない。同じヴィジョンを共有して、最前線にいる人たちと一緒に闘っている、という強い思いがあります。今日のインタヴューを受けるまで自分でも気づいていませんでしたが、きっとここに、わたしにとってのイノヴェイションがあるんでしょうね。

深圳の市街地にそびえ立つ高層ビル群。ここで死に物狂いで働き続ける若者たちがいて、そこでは毎日のように無数のイノヴェイションが生まれ、そして消えていくのだ。

Audi Story 13

レースカーの遺伝子を受け継ぐマシン

Audiが2017年まで参戦していたル・マン24時間レース。そこで13回の優勝を誇るレーシングカーの技術と名称を受け継いだハイパフォーマンススポーツカーが「Audi R8」だ。四輪駆動技術「quattro(クワトロ)」は当然のことながら、カーボンファイバーとアルミニウムを組み合わせて軽量化と高剛性とを両立させたボディ、アウディ スペースフレーム(ASF)といった最先端の技術を惜しみなく採用したことで、市街地からサーキットまでその性能をいかんなく発揮できるようになっている。いまもカーレース「スーパーGT」でAudi R8をベースとしたマシンが活躍するなど、「レースは技術の実験室」であるという信念は脈々と受け継がれている。(PHOTOGRAPH BY AUDI AG)

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November 15, 2019 at 08:01AM
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