フランス・パリを拠点に世界的に活躍している建築家の田根剛が、多くのプロジェクトを抱えていることは取材時の様子からもわかった。夜のインタヴュー直前まで打ち合わせが続き、取材を終えたあともすぐに次の打ち合わせへと向かっていった。
しかし、その語りには性急さは感じられなかった。激動の日々のなか、なぜこんなにも穏やかでいられるのだろう──。彼の話を聞いているうちに、その理由は見えてきた。建築というジャンルを超えて耳を澄ますべき静謐な精神が、ここにあるのだ。
──国内外で数多くのプロジェクトを抱えておられるとのことで、とてもお忙しそうですね。
いまは日本国内だけでも10以上のプロジェクトが同時進行しています。月に1回はパリから日本に飛んできています。手がけている建築は、例えば2020年4月11日にオープンする「弘前れんが倉庫美術館」や、京都・十条に十字のピラミッド型の建築を計画している「10 kyoto」、京友禅着物の老舗の本社を増築・改築する「千總本社ビル」などです。
優れた発想力と革新によって「新しい未来」をもたらすイノヴェイターたちを支えるべく、『WIRED』日本版とAudiが2016年にスタートしたプロジェクトの第4回。世界3カ国で展開されるグローバルプロジェクトにおいて、日本では世界に向けて世に問うべき"真のイノヴェイター"たちと、Audiがもたらすイノヴェイションを発信していきます。
展覧会の構成やインテリアなども手がけておりまして、ちょうど11月中旬から開催しているデザイナー・皆川明さんの展覧会「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」では展示構成を、同時期にリニューアルオープンした表参道「GYRE」4階のレストランフロア「GYRE.FOOD」では空間設計を担当しています。
──日本だけでもすごい数ですね。拠点のパリを含めて、海外ではいかがですか。
構想段階を含めて進行中のものは、スイス、イタリア、ブータン……パリでは今秋オープンした「Restaurant Maison」ですね。あと、先日のコンペで勝つことができたばかりなのですが、ルイ15世によって建てられた元フランス海軍施設の「Hôtel de la Marine」内に美術館をつくるプロジェクトが控えています。パリの歴史のど真ん中に突っ込んでいくようなプロジェクトで、自分たちとしても緊張感が増しているところです。
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1/4エストニア国立博物館(2016) PROPAPANDA/IMAGE COURTESY OF DGT.
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2/4Todoroki House in Valley(2018) PHOTOGRAPH BY YUNA YAGI
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3/4弘前れんが倉庫美術館(2020年4月11日オープン予定) PHOTOGRAPH BY ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS
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4/4新国立競技場・古墳スタジアム(案) IMAGE COURTESY OF DGT.
──「弘前れんが倉庫美術館」では、れんがを用いて倉庫を改築しながら、屋根は光り輝くものに仕上げています。
建築って規模にかかわらず、一つひとつのプロジェクトが本当に大変なんです。個人の住宅であれば、施主が人生を賭けて頼んでくださるわけです。今回の弘前れんが倉庫美術館は、公共事業として現代アートの美術館をつくる、というプロジェクトでした。しかも新築の箱物ではなく、明治・大正期にお酒の醸造工場として建設された「吉野町煉瓦倉庫」という大きな倉庫をぜひ生かしてほしい、とのことだったんです。「倉庫は現代アートの美術館になりうるのか」という大きな問いかけが、そこにはありました。ただ看板をかけたり、単にリノヴェイションしたりすれば美術館になるわけではないです。
古いものを壊して新しくするのではなく、かといって古いものをそのまま残すわけでもなく、もともとある建築の精神を、未来に向けてもっと長く引き延ばすことはできないだろうか──。そのように考えていった結果、れんがを多用することにしたんです。焼き加減や色味の調整、目地や補修にいたるまで、非常に高いレヴェルの技術で仕事をされる職人さんたちがいて、一緒にチャレンジしてくださったんです。
そのうえで、シードル・ゴールドに輝くチタンのような新しい素材を屋根に使いました。そこには遠い昔に忘れられた弘前の記憶が関係しています。弘前にリンゴが初めて紹介されたのは明治初頭、19世紀終わりのことでした。宣教師がもってきたことをきっかけにリンゴの町になり、戦時中から戦後にかけて、コメがないなかリンゴを使ってお酒をつくるようになっていった。こうした場所がもっている記憶を、建築は未来につなげていくことができるんです。「公共」の時間軸のあり方ですよね。
──古いものを壊して新築するのでもなく、改築でもない。あるべき建築の姿を考えているわけですね。
こうした建築を「延築」と呼んでいます。自分で勝手にそう呼んでいるだけなんですが(笑)。古い倉庫だからといって壊すのでもなく、かといって倉庫という建築の機能としてだけで終わらせるのでもなく、建築の精神を継承し、継続していく延長線の上で、築いていく。そんな方向性があるのではないだろうか、と。
──新しい世代の建築家のひとりである田根さんが、そのような考え方であることは印象的です。
そうでしょうか。普通のことを言っているだけだと自分では思うんですが……。もちろん近代建築教育を受けてきたので、当初は新しいものをつくらなきゃいけないと思い込んでいましたが、だんだん変わってきたんです。近年で大きかった出来事としては、「ホテルオークラ東京 本館」が建て替えのために2015年に閉館して、取り壊されたことですね。いまもどんどん日本の近代建築の名作が壊され続けています。多くの人たちが感動した建築が、次の世代から未来永劫、体験できなくなっていっている。
いま解体の危機にある丹下健三さんの「香川県立体育館」を見て、素晴らしい名作だと本当に感動しました。そして「東京カテドラル聖マリア大聖堂」と「国立代々木競技場第一・第二体育館」。この3つはすべて1964年完成で、丹下さんの代表作であり名作です。こうしたものを残していかないと、場所に集積している記憶が、どんどん忘れ去られていってしまう。実際にいまの東京は、日に日に未来を信じられなくなっていっていると、自分は感じます。そしてこのように考えるようになったのは、デジタルの問題も大きいんですね。
場所に集積している記憶を残していかねばならない。だからこそ、建築の生命を継承し、継続していく延長線の上で築いていく「延築」が重要なのだと、田根剛は説く。
──デジタルと記憶の問題……。どういうことでしょうか。
大量の情報に晒される状況ですが、これ自体はある程度ポジティヴに捉えていて、そうした情報を処理するために脳が進化する過程の時代だ、と思っているんです。このプロセスの途中で、人は試されている。では、ものをつくる自分たちが何を信じられるのかと考えると、それはやはり記憶なのではないか、と感じるんです。
デジタルな情報を失って丸裸になったとき、人間が頼りにできるのは記憶しかないのではないか、と。どこかに行こうとしている最中に携帯電話を落としてしまったら、記憶を頼りに行くしかないですよね。人が途方に暮れたときに次の未来をつくってくれるのは、根源的な記憶なのではないでしょうか。
ヴァーチャルな空間にしても、そうした虚の空間と実空間を行き来できているのは、結局自分たちの脳が処理して、理解しているからですよね。それはデジタルな情報だけでなく、本などの古いメディアにも言えることで、たとえ過去を学んで「歴史を知っている」と言ったって、本当に体験しているわけではない。そこで信じられるのは、建築という物質に宿るリアリティであり、記憶だと思っているんです。自分も建築のリアリティを信じていますが、これはいまの時代だからこそ反動的に求められる建築のあり方なのではないか、と。
────田根さんの建築を通して、そうしたリアルな“体験”をした人の声は、ご自身に届くものなのでしょうか。例えば、2016年にオープンした「エストニア国立博物館」ではどうでしょう。
「エストニア国立博物館」は、1991年に独立したときから建設が予定されていたもので、自分たちがコンペに勝ったのは2006年、そこから約10年の月日をかけてつくりあげたものです。もとは旧ソ連の軍用地。森を切り裂くような滑走路があり、その負の遺産を引き受けて、滑走路の延長線上に博物館を接続しました。まさに「場所の記憶」を考え始めたきっかけですね。もちろんいろんな批判もあったのですが、名もなき若手の建築家だった自分たちを選び、信じて一緒にプロジェクトに取り組んでくださった館長がいたんです。
完成時には職を次の方に引き継いでいたんですが、その元館長が本当に嬉しいことを言ってくださいました。「ソ連から独立して20年以上、自分たちはエストニアの国民だと信じてきたけれども、このミュージアムが出来上がったことで、やっと初めてわたしたちは、ソ連からエストニアへと時代を乗り越えたと思えるようになった」と。
この建築が完成したことによって、エストニアの未来を自分たちでつくったのだと思えた──建築には、そんなことを実現できるすごい力があるのだと感動しました。それまでもずっと、場所の記憶こそが建築になるとは考えていたんですが、未来についてはほとんど語ったことがありませんでした。けれども、あの博物館が出来上がった瞬間から多くの人が訪れてくれるのを見て、そこからエストニアの未来が始まっていく感覚を強烈に抱いたんです。未来のために建築があるんだ、そうか、建築とは「未来の記憶」なんだと、自分のなかで初めてふたつの概念がひとつになったんですね。建築は、やはり未来を信じるべきなんだ、って。
──人々の集合的な記憶に触れるということはセンシティヴな行為でもありますよね。田根さんはエストニアにしても弘前にしても、すごく丹念なリサーチをされている印象があります。
大事なのは、考古学的な手法をとったとしても、自分たちはその専門家でも研究者でもなく、ものをつくる仕事をしている、ということなんです。探究するのは、そうしたものをつくるための基礎トレーニングだと思っているんです。ピアノの演奏家は、トレーニングなしでは弾くことはできませんよね。建築家だって、学び、物を考える力をつけるということを積み重ねていかないと。負の遺産である軍用滑走路を博物館につなげるということはもちろん物議を醸す可能性のあることですから、その意義を時代に問うためには、しっかり探究して準備しないといけない。
パリにある田根のアトリエ。ここから世界中の「未来の記憶」としての建築がつくられていく。PHOTOGRAPH BY ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS
──世界について知る、探究するということが、そもそもの基礎である、と。
自分たちのシグネチャー(特徴的な)スタイルをつくるということに、こだわっていません。建築家やデザイナーは、独自のスタイルがあったほうが注目されやすいでしょうし、よく「スタイルがない」とも言われるんですが、自分たちは個々の建物のスタイルには、すごくこだわるんです。その場所に立てられる建築がもつべき様式性や形式性、というものは徹底して考えます。だからこそ、それをほかの建築に繰り返して使う、ということにはあまり興味がないんです。
「未来の建築」を考えていますが、別に大げさなことを言っているわけではありません。建築は、1個1個つくっていくしかないんです。そのひとつの深みを、どれくらい掘り下げられるか。掘れば掘るほど、何か遠い未来につながっていくことができるんじゃないか。そう思っています。
──なるほど。最後に、このアワードは「イノヴェイションとは何か」という答えのない問いと向き合うものでもあるのですが、どうお考えになりますか。
あまり難しいことはわかりませんが……イノヴェイションとは、謙虚さですかね。謙虚に一歩引いて世界を見て、耳を澄ましてみた上でこそ、この世界に何かひとつでも未来に向けて意味をもたせるようなものを創ることができるかもしれない、と思います。個人を消して、世界と向き合う。日常って本当に強いものですから、そこから一歩下がってみるという謙虚な態度が、むしろ世の中との距離をつないでくれるんじゃないかな、と。
昨日、ある写真家の方と話していて、「歌」の話になったのがすごく面白かったです。エストニアもそうですけど、歌を通して人々は記憶をつないできた。耳を澄ますということは、歌や音楽を聴こうとしていることなのかもしれません。そして建築は、音楽のように、その場所で継承される“記憶”のような存在になればと思います。
Audi Story 18
自動運転への扉を開いた「Audi A8」
Audiのフラッグシップモデル「Audi A8」には、自動運転の普及の鍵を握る技術の筆頭格であるレーザーセンサー「LiDAR(ライダー)」を、市販車として世界で初めて実装した。これまで一般的に使われてきたレーダーのような電波ではなくパルス状の赤外線を照射し、周りの物体に反射して返ってくるまでの時間をわずか数ミリ秒以内で測定する。この繰り返しによって周囲にある物体の立体像を正確に描き出す。完全自動運転の礎となる技術の市販量産車への初搭載で、自動運転技術の歴史は新たな段階に入った。言い換えれば、Audi A8が完全なる自動運転への扉を開いたのだ。(PHOTOGRAPH BY AUDI AG)
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December 10, 2019 at 03:02PM
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