目の前にニューヨークの地図が表示されている。一見、グーグルの地図とあまり変わらない。いま見ているのは、カリフォルニア州サンマテオに本拠を置くスタートアップJupiter Intelligenceが顧客に提供している地図の一部。ひとつ違いがあるとすれば、プルダウンメニューがある点だ。
画面左に表示されているそのメニューでは、ユーザーがいくつかのパラメーターを設定できるようになっている。「洪水発生年」「発生確率」「海面上昇」……。眺めているだけで不安になってきそうな言葉が並ぶ。同社の最高経営責任者(CEO)リッチ・ソーキンとプロダクト部門の責任者ディネシュ・シャーマが「2050年」「1パーセント」「高い」と設定する。100年に1度レヴェルの大洪水が2050年に起こった場合、最悪の想定でどんな状態になるか。それを地図上で見せてくれるというのだ。この想定は、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」なども利用している科学データに基づくものだという。
結果は、ひと言で言えばこういうものだった。ちゃんとしたウェーダー(胴付長靴)を準備しておかなくては──。
地図では、マンハッタンの周縁が淡い藍色に染まっていた。その一帯が冠水するという意味だ。ジョン・F・ケネディ(JFK)、ラガーディア両空港や、ブルックリン、クイーンズ両区の臨海部、ロッカウェー地区の大半、ニュージャージー州の工業用倉庫・港湾地区の大半も水没していた。Jupiter Intelligenceの顧客となるような企業にとっては、ニュージャージー州の地区の被害が最も深刻な打撃になりそうだ。この地区に倉庫を所有していたり、そこにある港湾を輸送拠点にしていたりする事業者であれば、この地図の青く染まった箇所を見て、向こう10年のインフラ投資を見直そうと思うかもしれない。気候変動に対処するうえで難しい点は「CO2を排出する者ばかりが恩恵を授かりがちであるのに対して、コストについては充分に理解されておらず、ほかの全員で負担するかたちになっている」ことだと、ソーキンは指摘する。そのうえで、自社の仕事をこう説明する。「うちがやっていることの大部分は、いわば気候変動の影響に値札をつけることなんです」
大災害リスクモデルに基づく“黙示録”
気候変動は、地球上での生活環境をだんだんと過酷なものにしてきている。企業経営や都市の維持管理、発電所や幹線道路、橋の建設計画などに携わる人なら、状況がどのくらい悪いのか、また今後どのくらい悪化しそうなのか、きっと知りたいと思うだろう。そうした情報を販売しているのが、Jupiter Intelligenceのようないわゆる気候サーヴィス企業だ。Jupiter Intelligenceは気候変動を自社の大災害リスク(catastrophe risk=CATリスク)に関するモデル(独自開発したものと公開のものがある)に明確に組み込んでいて、洪水や火災、暴風雨、熱波などが発生したときに経済的損失を被りかねない顧客らに、その知見を提供している。
科学者たちもCO2濃度や海面温度などに関して繰り返し警告しているが、こうした警告は実際の行動に役立つものにはなっていないように思える。少なくとも、自分はもっとリサイクルに取り組んだほうがいいのだろうかと、ふと思ったりするような一般の人や、企業経営や都市運営にかかわっている人にとってはそうだろう。警告についてはわかったが、具体的に何をすればよいのか、よくわからないのだ。
Jupiter Intelligenceや気候サーヴィス業界には、そのための案がいくつかある。それらは「ヘッジ」という言い方でまとめることができるだろう。リスクの「値段」を理解し、その総額をはじき出す。場合によっては、それをさらにある種の金融商品に仕立てる。将来起こることについては、知っていることが多いほど正確な値づけができる。そこでは、気候変動のリスクは飢饉(ききん)や集団移住、暑さによる死といった観点からは捉えられていない。そうではなく、発電所の稼働休止時間や、海面上昇による倉庫の喪失面積などの点から考えられている。その損失がどのくらいになるかというのは、どれくらいの額の保険を購入するかということだ。
では、将来について知っていることが少ない人はどうなるのか。「未来は平等にはもたらされない」という話を聞いたことがある人もいるかもしれない。その通りだ。これは最後の審判が下る日を分析するものであり、言ってみれば“サーヴィスとしての黙示録(アポカリプス)”なのだ。
「いつ」ではなく「どのくらいひどく」そうなるか
ソーキンはJupiter Intelligenceの創業に先立ち、航空宇宙や民間衛星、気象予測といった分野で複数の企業を設立していた。その経験が16年の気候サーヴィス業界への進出、つまりJupiter Intelligenceの立ち上げにつながった。ただ、それは当然のなり行きというわけではなかった。というのも、気象予測やCATリスクの分野は、関係者たちが言うように「成熟」した業界だからだ。実際、この分野には多くの業者がひしめいていて、自らの分析結果や顧客に合わせたデータ、独自に編集した政府報告書などを提供している。だが、そうした数値分析では、せいぜい1年先くらいまでの予測しか扱っていないものが多いのが実情だ。ソーキンはこう振り返る。「気候変動の影響を理解するための分析サーヴィスは、公的部門でも民間部門でも、実は並外れて未熟だったことがわかってきたんです」
一方で、この分野の科学的知識は蓄積があり、揺るぎないものだ。産業革命以来、わたしたち人間が大気中に排出してきた温室効果ガスが、地球のサーモスタットに対する負荷を高め続けてきたのは間違いない。ハリケーンや暴風雨は今後ますます激しくなるだろうし、熱波は一段と厳しくなるだろう。山火事はもっと拡がりやすくなるだろうし、疫病は拡大しやすくなるだろう。海面の上昇も進むだろう。これらはもはや「もし」そうなったらという話ではなく、「いつ」そうなるかという話ですらない。「どのくらいひどく」そうなるか、という話なのだ。
だとしても、自分の会社がどのようなリスクヘッジをすれば、そうした事態に対処していけそうか判断するのは、容易なことではない。優れた企業経営には、緊急時に打撃を最小限に抑えられるような投資をしておくことも含まれるはずだ。例えば、保険に入る、影響を受けやすい施設を高台に移す、サプライチェーンを分散させる、といったものだ。だが、将来起こることを知って(もっと言えば理解して)いなければ、そうした対策はどれもとるのが難しいだろう。
そこで、Jupiter Intelligenceの出番だ。同社は未来の予測に関して自社がもつ強みを、どういった相手に売り込んでいるのか。CEOのソーキンの話では現在、企業や自治体など計10の顧客を抱えていて、それには全米で5本の指に入る電力大手、世界有数の住宅金融会社、ニューヨーク、マイアミ両市などが含まれるとのことだった。だが、ニューヨーク市の広報担当者は取材に対し、Jupiter Intelligenceの顧客ではないと答えたうえで、市が助成金を拠出したブルックリン・カレッジの雨水研究プロジェクトに関連して、大学が同社の科学者を雇った事実はあると説明した。一方、マイアミ市の最高レジリエンス(強靱化)責任者(CRO)ジェーン・ギルバートは、被災しやすい地区の洪水リスクを調べる予備研究を実施した際に、Jupiter Intelligenceと契約したと明かした。ただし、総事業費2万5000ドル(約270万円)ほどの小規模な調査だったという。
どうやら、ソーキンの説明には多少誇張が混じっていたようだ。比較的新しい企業だから、そこまで目くじらを立てることではないかもしれないが。自然災害の発生リスクを引き受ける大災害債券(catastrophe bond=CATボンド)や、再保険関連の債券を販売する米Nephila Advisorsのマネジングパートナーであるバーニー・ショーブルは、Jupiter Intelligenceを「保険業界や企業、政府が以前は利用できなかったようなテクノロジー、知識、データを数多くもたらしている」と評価している。ネフィラはジュピターの顧客であると同時に出資者でもあり、ショーブルは「大災害や気象に関するリスクについて、より有益かもしれない情報を提供してくれるものであれば、わたしたちは何にでも関心があります」とも述べている。
過去の数字に未来を予測する力はあるのか
いまから20〜30年ほど前、保険業界や金融業界は、米南部を襲ったハリケーン「アンドリュー」や、ロサンゼルスで発生したノースリッジ地震などの経験から、ポートフォリオに迫っていたリスクの巨大さを自分たちが過小評価し、それをカヴァーするために入手可能な担保を過大評価していたことを学んだ。そこでこうした業界は、そのリスクを金融商品、つまり市場で購入できるCATボンドによって分散させようと考えた。だが、そうするためには、より優れた数理モデルが必要だった。
欧州では今日、多くの国が公的な気候サーヴィス機関を置いているが、米国にはいまだにそういった機関がない。共和党の議員たちが「プロパガンダ」機関になるなどとして反対し、その案を葬り去ったからだ。また、IPCCが公表しているもののような重厚な報告書や全米気候アセスメント(NCA)も、ここではほとんど役に立たない。IPCCの報告書は温室効果ガスの排出に関する白書だが、ソーキンに言わせれば「民間部門が資本予算や適応に関するロードマップとして用いると想定されたことは、これまで一度もない」からだ。
賢い企業であれば、向こう10〜20年の世界はだいたいこうなるだろうという感覚をもちながら、事業を展開しようとするはずだ。そのくらいの時間軸だと、大型の設備投資計画が含まれ、地球規模の変化は無理だとしても、地元や身近な場所で起こりそうな事態は考慮することになる。例えば、自社の倉庫がある沿岸部が次にスーパーストーム(巨大暴風雨)に襲われた場合、その倉庫が浸水する恐れがあるのだとしたら、それを移転させるか、かさ上げするといった手を打つ。あるいは、商品の輸送に使っている道路や鉄道が海面上昇のために冠水すると予想されるのであれば、別の輸送ルートを確保する必要が出てくるだろう。
だが、既存のCATリスク分析業界が通常準拠している時間軸は、そうしたリスクに対処するにはやはり短かすぎる。業界大手のAIR Worldwideで気象部門を率いるピーター・ソーソニスもこう認める。「わたしたちは実際には過去数十年のデータを用いているわけですが、そうした過去に基づく今日のモデルで(将来の)気候変動をどう説明するか、ということが問題になるわけです」。同社はこれまで、基本的に直近の数字を基に現時点のリスク評価を提供してきた。しかし、一部の気候科学者からは、世界が変わった以上、もはや過去の数字には未来を予測する力はないと懸念する声が聞かれる。AIRや競合のRMSも手法を変えつつあるものの、そのスピードはお世辞にも速いとは言えない。
一方で、誰かがきょう、海辺の家を購入するために住宅ローンにサインしたとしよう。2050年になって、その家が水没してしまっていたとしても、ローンの残高はまだ残っているだろう。いまの米国の政権は気候変動を概して認めていないけれど、米国の州政府や軍、企業はそれを認めている。そして、これらの組織では気候変動へのレジリエンスに関する計画を作成して、規制当局や上層部、株主などに提出することが求められるようになってきている。
「世界が“燃え上がる”のを注視せよ」
こういった事情から、気候サーヴィス産業が成長してきている。ある市場分析によれば、この業界の現在の市場規模は世界全体で26億ドル(約2,800億円)とされ、最大で年10パーセント拡大しているという。ただ、これは裏を返せば、貧しい人たちが置き去りにされて、ますます気候変動の影響に晒されやすくなっていくということでもある。Jupiter Intelligenceの場合、ヴェンチャーキャピタル(VC)から3200万ドル(約3億5,000万円)の出資を受けており、シリコンヴァレー北端のサンマテオのほか、コロラド州ボルダー、ニューヨークにオフィスを構え、米国外に進出する計画もあるという。科学者たちが在籍し、気候に関するモデルの開発や高度化にいそしむ同社は、公的なデータのほか民間のデータも活用し、分析結果を契約者だけに提供している。
分析結果の公開を制限していることは、いくつかの問題をはらんでいる。ひとつには、ピアレヴューがなく、公益のための科学にもなっていない点が挙げられる。同社のデータ分析は結局、顧客が競争で優位に立てるようにするためのものだ。それは「もてる者」のための科学であり、「もたざる者」のための科学ではない。気候変動から影響を受けるのは同じだとしても、Jupiter Intelligenceにお金を払っているニュージャージー州の倉庫オーナーは、近所に住む人よりも少しだけ多くのことを知っているだろう。
思い切り冷めた見方をすれば、Jupiter Intelligenceの価値提案は、あくまで気候変動への「適応」、つまり気候変動が起こっている間(あるいは起こる前)の影響への対処を手助けするものにすぎず、気候変動の「緩和」、つまり実際に地球を救おうとするうえではほとんど役に立たない。ただ、こうした状況は、企業にとっては非常に魅力的に映るのかもしれない。なぜなら企業は、地球を救うことを気にかける必要などはなく、それどころか気候変動が極端に進んでくれたほうがもうかるような企業だってあるだろうからだ。そうした企業の幹部たちは、世界が“燃え上がる”のを注視するよう義務を課されているかもしれない。
環境・社会・企業統治を重視する、いわゆるESG投資に携わる人たちが訴えるように、気候変動の緩和やリスクヘッジに投資が向かうようにすれば、低炭素技術や脱炭素化政策への投資に弾みがつくというのも、その通りなのかもしれない。一方で、そろそろ堤防を建設して、気候変動への適応を図るべき時期に来ているのも確かだ。「多くの人にとって、そうすることは敗北を認めることのように感じられるのでしょう。あるいは、緩和に向けた取り組みに水を差すことのように感じられるのかもしれません」と、ソーキンは言う。「どちらも人間として自然な反応です。しかし、リスクはすでに存在しています。わたしたちはその影響を目の当たりにしています。今後、状況は着実に悪化していくでしょう」
「誰かが、報いを受けなくてはならない」
エコノミストであれば、気候変動に対して社会がどこか投げやりで、その闘いもどこまで本気なのかわからないように見えるのは、誰も気候変動に「出資」していないからだと説明するだろう。事実、気候変動の緩和をした場合と、しなかった場合とでのコストの比較計算は、これまで誰もできていない。一方で、気候変動を金額や価格で表すことを、CATリスクのモデリングを手がける企業やCATボンドの販売業者、保険会社は求められるようになっている。それに基づいて顧客が改善する価値があるかどうか知ることができるようにするためだ。
ここで最悪のケースとして考えられるのは、大災害を防ぐよりも、その大災害に備えた保険をかけたほうが、はるかに安上がりだと気づく企業が出てくることだろう。しかしながら、ソーキンは、そういう事態はまず起こらないと主張する。「それぞれの場合のコストがいったん明らかになれば、地球上のすべての企業が、自社の資産が晒されているリスクの増大に対応するために、数十億ドルとまでは言わないまでも、おそらく数億ドル規模の投資をしなくてはならなくなります」
ソーキンはこう続ける。「保険業界か住宅ローン業界の人が交渉の席にやって来て、あるいは、これはちょっと皮肉な話になってしまいますが、電力業界の人もやって来たとしましょう。すると、そのうちの誰かがこう切り出すと思います。『いやはや、例のコストのせいで、うちの経営のやり方はすっかり変わってしまいそうです』。こうして、さまざまな業種による政治談義が始まることでしょう」
ソーキンとプロダクト部門の責任者のシャーマは、ニューヨーク以外の地図も見せてくれた。ところどころでズームイン、ズームアウトをしながら、ふたりは海面上昇の高さや暴風雨の発生確率の設定を変え、その結果を表示する。ニュージャージー州では、洪水がホーボーケン市から内陸側に拡がっていき、メットライフスタジアムを飲み込んでいった。サウスカロライナ州のチャールストンでは、海面が輸入車の保管スペースよりも高くなり、環状道路も水没していた。高さのある港湾施設が1カ所、とり残された姿を晒していた。フロリダ州では、初めはマイアミビーチが防波島のような役割を果たしていたが、海面の高さが1.2mほどになると、ビーチの大半や、周辺の小島、そしてマイアミ市のかなりの地区が水の中に消えた。
実に暗たんとした気分にさせられるデータだ。厳しい予測が長期にわたって続いていた。地図上では水没した部分が青に染まり、孤島のように残された部分が白っぽく表示されるために、なおさら生々しく感じられる。プルダウンメニューがこう物語っていた。「誰かが、報いを受けなくてはならないのだ」
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December 10, 2019 at 05:00AM
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